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千葉地方裁判所 昭和49年(ワ)59号 判決

原告

工藤チドリ

ほか一名

被告

千葉県

主文

被告は原告両名に対し、それぞれ金四、八〇二、四五四円及びこのうち金四、三〇二、四五四円に対する昭和四九年三月五日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告両名のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の、その余を原告らの負担とする。

この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

「被告は、原告両名に対し、それぞれ金二二、五〇〇、〇〇〇円及びこのうち金二〇、〇〇〇、〇〇〇円に対する昭和四九年三月五日以降支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  事故の発生

1 昭和四八年四月二六日午前五時二〇分頃、訴外亡工藤俊一は日産デイーゼル八トン貨物自動車(以下工藤車という。)を運転し、千葉県道結城野田線を野田市方向から関宿町方面に向つて時速約五〇キロメートルで進行し、千葉県東葛飾郡関宿町新田戸六七八番地付近(以下本件事故現場という。)に差しかかつた。

2 当時右県道の本件事故現場付近は幅員五・七五メートルの極めて狭隘なアスフアルト舗装がなされ、その両側には約一五センチメートルないし二〇センチメートルの段落差をもつて幅員約〇・五メートルないし二・一メートルの未舗装の歩道部分があり、左に緩やかなカーブを形成していた。

3 訴外亡工藤俊一は、本件事故現場付近に至り、前方に対向して進行してくる訴外桜井義一運転の大型トレーラー(以下、桜井車という。)を発見し、すれ違うべく車体を進行左側に寄せたところ、左側前後輪が前記未舗装の歩道部分に落ち、段落境界に接触したまま進行したので、この状態を回避しようとしたところ、車体が進行右側に飛び出し前記桜井車と衝突した。(以下本件事故という。)

4 訴外亡工藤俊一は本件事故に基く頭蓋底骨折により即死した。

二  責任原因

本件事故は被告千葉県の営造物である本件県道の設置及び管理の瑕疵に起因して生じたものであるから、国家賠償法二条により、被告は本件事故によつて生じた原告らの損害を賠償する義務がある。

1 設置の瑕疵

(一) 本件県道は、道路構造令三条一項の「三種四級」の道路として設置されたものであるが、国道四号線の裏街道として、交通量が増加し、本件事故当時一日一三、〇〇〇台を数えており、これは同令同条二項三号の区分によれば本来「三種二級」の道路として片側車線の幅員三・二五メートルをもたせなければならなかつた。ところが本件事故現場付近は被告によつて車道部分のみアスフアルト舗装がなされていたが、その片側車線の幅員は二・八七メートルないし二・九二メートルと狭く、その上舗装部分の両側は〇・一五メートルないし〇・二〇メートルの段落差をもつて〇・七メートルないし二・一メートル幅の未舗装部分となつており、本件事故現場付近を中心として緩いカーブを形成していた。

このため、大型貨物自動車が本件県道の右カーブを通過する際には、車道側端に段落差があつて脱輪の危険性があるため、対向車両がない場合には殆んど反対車線に喰い込んで通過していたのであるから、大型貨物車同士がこのカーブを対向通過することは極めて危険な状態となつていた。

従つて、被告は本件道路をアスフアルト舗装した際、現在歩道部分となつている未舗装部分も含めてアスフアルト舗装すべきであつたのにこれをせず、車道側端に段落差を生ぜしめ放置した。

(二) 本件道路は歩車道の区別のない道路であつたが、前記未舗装部分のうち、昭和四七年度分として、本件事故現場の野田市寄り約六〇メートルの地点までがアスフアルト舗装され、段落差を解消したのに本件事故現場付近は舗装せず段落差を放置したため、本件道路は右地点から関宿町に向けて道路幅員が約八メートルから約五・七五メートルないし五・九メートルに急に狭くなることとなつた。

2 管理の瑕疵

(一) 本件事故現場を中心として約一五〇メートルの間、本件道路は極めて狭隘となつているにもかかわらず、被告は道路幅員減少の標識を設置しなかつた。

(二) 本件事故現場付近は、前1項で述べたように極めて危険であり従来から事故が多発していたにもかかわらず、被告は、その旨を表示する標識を設置しなかつた。

(三) 被告は、前1項(二)の昭和四七年度分の舗装部分と未舗装部分の境界に段落差があり、これが多くの交通事故の原因となつていたにもかかわらず「段落差あり」と示す標識を設置しなかつた。

(四) 被告は、本件事故の数日前から前項の未舗装部分の舗装工事に着工していたのに、右工事を示す標識を設置しなかつた。

三  損害

1 本件事故により訴外工藤俊一は次のとおり損害を受けた。

(一) 逸失利益 金四七、〇〇一、七二五円

同人は昭和二二年一〇月二日生れの事故当時二四才の健康な男子であり、昭和四四年四月一日、父原告工藤良孝の経営する工藤運送有限会社に勤務していたものである。

原告良孝は、その長男である俊一を次期社長として事業を一段と発展させる計画を有しており、その計画によれば、昭和四九年一月一日より俊一を前記有限会社の取締役に就任させ、給与を月給制に改め、当初の月給を一ケ月金一七〇、〇〇〇円とし、右より昭和五九年三月三一日まで俊一を取締役として会社運営に関する知識能力を養わせ、昭和五九年四月一日からは俊一を社長に就任させ、原告良孝は引退することにしていた。

しかして、前記有限会社の平均昇給額は毎年月額一〇、〇〇〇円であり、賞与はその時月給一ケ月分であるところ、満二四才の男子の就労可能年数は三九年であるから、生活費を収入の半分と考えて中間利息を控除して逸失利益を計算すると金四七、〇〇一、七二五円となる。

(二) 俊一の死亡により原告チドリ、同良孝は父母として各二分の一づつの割合で右損害賠償請求権を相続した。

2 葬式費用 各金一三八、五〇〇円

原告らは俊一の葬式費用としてそれぞれ金一三八、五〇〇円を支出した。

3 慰藉料 各金三、〇〇〇、〇〇〇円

俊一は原告両名の長男であり、唯一の男子として、将来本人をして前記会社の中核たらしめる構想をもつて前記会社も設立されたものであるところ、俊一も前記会社の運転業務に従事しており右会社経営にあたるべく予定していた矢先に本件事故が発生したのであるから原告らの受けた精神的苦痛は計り知れないものがあるのみならず、被告は何らの弔慰の意を示さないものである。従つて、原告両名の本件事故による慰藉料としてはそれぞれ金三、〇〇〇、〇〇〇円をもつて相当とする。

4 弁護士費用 各金二、五〇〇、〇〇〇円

原告らは、原告代理人らに本件訴訟の提起を委任し、報酬として損害金額の一割を支払う旨約した。そこで内金としてそれぞれ金二、五〇〇、〇〇〇円の支払いを請求する。

5 損益相殺

原告らは自賠責保険及び労災保険から合計金六、一八五、六四〇円の支払いを受けた。

四  よつて、原告らは被告に対し、本件事故によつて蒙つた損害のうち前項1ないし4の合計より5の金額を控除した金額のうち、それぞれ金二二、五〇〇、〇〇〇円及びこのうち二〇、〇〇〇、〇〇〇円に対する本訴状送達の翌日である昭和四九年三月五日より支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(請求原因に対する認否)

一  請求原因一項に対して

1 1の事実のうち、本件事故の場所は認め、日時は不知

2 2の事実のうち、本件道路の幅員、舗装部分の両側の段落差の程度は争い、その余の事実は認める。尚舗装部分の両側は道路構造上保護路肩と称する部分である。

3 3、4の事実は不知。

二  請求原因二項に対して

1 頭書の主張は争う。

2 1の(一)の事実のうち、本件道路が「三種四級」の道路であること、本件事故現場付近が緩かなカーブを形成していたこと、舗装部分の両側に未舗装部分が存したことは認めるが、その余の事実は争う。

3 1の(二)の事実のうち被告が保護路肩を歩道とすべく一部アスフアルト舗装したことは認めるが、本件道路の幅員が狭くなつたことは否認。即ち、車道として舗装してある部分が道路本体であつて、保護路肩部分は車の侵入の予定されていない部分である。

4 2の(一)ないし(四)の事実は全て争う。管理上の瑕疵はなかつた。

三  請求原因三項に対して

1 1の(一)の事実は不知、1の(二)の事実のうち原告両名が工藤俊一の父母であることは認め、その余は争う。

2 2ないし4の各事実は不知

(被告の主張及び抗弁)

一  本件道路の設置・管理について

1 本件道路は、道路構造令上三種四級相当の道路として、全線に亘り有効幅員五・五メートルが確保され、本件事故現場付近も五・五メートル以上の幅員を有し、特に狭くなつていることはなかつた。被告千葉県は東葛土木事務所に車両一台人員四〇名のパトロール班を設け、本件道路については野田出張所に四名の専属補修員を配置し、毎日巡回して除草、清掃・軽補修につとめ、事故当時も道路の通常有すべき安全性は確保されていた。

2 本件道路は歩車道の区別のないもので、舗装部分の外側に未舗装部分があつたが、右は道路構造上保護路肩と呼ばれる部分であり、車両の通行の用に供される部分ではない。被告千葉県はその後、本件事故現場付近も未舗装部分を歩道として舗装したが、右舗装は車道部分の拡幅ではない。本件事故当時、本件道路は事故現場付近で五・九メートルの幅員を有し、片側二・九五メートルの幅員があつたから、工藤車と桜井車の対向通行に運転上何ら支障はなかつた。(工藤車の車体幅二・四九メートル、桜井車の車体幅二・四七メートル)

二  亡工藤俊一の過失

1 本件事故当時、事故現場付近は濃霧の為視界が悪かつたのであるから、大型車の運転に従事していた俊一としては減速・徐行する等万全の措置を講じ、前後左右に注意して安全運転すべきであつたのに漫然運転を継続し、当時交通量は極めて少なく対向車とのすれ違いのため左に寄り過ぎる必要は全くなかつた(原告主張の脱輪した時には、桜井車との距離は一三〇メートル以上あり濃霧の視界外にあつた。)のに左側に寄り過ぎたために落輪させた。

2 更に俊一は落輪したまま約六〇メートル進行したものであるが、このような場合、運転者としては、当然停車又は極度に減速して道路上へ慎重に復帰し、予想しうる事故を未然に防止すべきであり、かつその措置をとる時間的・距離的余裕があつたのに俊一は右措置をとることなく車道へ再突出した。

3 以上のとおり、本件事故は俊一の一方的な過失により発生したもので、本件事故と道路状況には相当因果関係なく、又容易に事故を回避しえたものである。従つて被告には何らの責任はない。

第三証拠〔略〕

理由

(事故の発生)

一  成立に争いのない甲五号証の一ないし一二、同六号証、同七号証の一、二、証人小暮禮雄の証言により真正に成立したと認められる乙二号証、証人飯野武、同久保源三、同桜井義雄の各証言ならびに原告工藤良孝の本人尋問の結果を総合すると、

訴外亡工藤俊一は、昭和四八年四月二六日午前五時二〇分頃、ニツサンデイーゼル八トントラツク(車体幅二・四九メートル)を運転して、本件道路を野田市方面から関宿町方面に向つて進行中、千葉県東葛飾郡関宿町新田戸六七八番地付近に差しかかつた際、対向進行してきた桜井車とすれ違うためか、前方注視を怠つていたためか、別紙図面記載のNo1ないしNo2の間で左側前後輪を、本件道路の舗装部分の外側に平均約二〇センチメートルの高低差をもつて存在する未舗装部分に落輪させ、舗装部分に戻ろうとして、右へ転把したところ、センターラインを越え、折りから対向してきた訴外桜井義一運転の大型トレーラー(車体幅二・四七メートル)の右前部に自車前部を衝突させ、頭蓋底骨折により、即時同所において死亡したことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(本件道路の状況)

一  前掲甲五号証の二ないし四、六の一ないし八及び二六、乙二号証、証人小暮禮雄の証言により真正に成立したものと認められる乙一号証、同三ないし五号証、同七号証、証人飯野武、同小暮禮雄、同久保源三、同荒井武雄の各証言によると次の事実が認められる。

1  本件道路は主要地方道であつて、道路構造令三種四級に相当する道路として、被告によつて維持管理されてきたものである。本件事故当時の交通量は、昭和四六年に実施された交通量調査を基礎として推定すると一日約六、六五二台を数える交通の頻雑な道路であり、大型車両の通行も稀ではなかつたが、本件事故現場付近はいわゆる追い越し禁止となつているほかは速度規制等はなかつた。

2  事故当時、本件道路の事故現場付近は歩車道の区分のない道路であつて、道路の幅員は全体で約八メートルで、このうち中央部五・九メートルの幅がアスフアルト舗装され車道となつており、右車道の両側、工藤車の進行左側に二・一メートル、桜井車の進行左側に一メートルの未舗装部分が存在し、事実上歩道となつていた。舗装部分と未舗装部分とは平均して約二〇センチメートルの高低差があり、断層をなしている。

3  被告は、安全対策事業五ケ年計画に基づいて前記未舗装部分を舗装して歩道を新設する工事を進めてきたが、昭和四七年度分として、工藤車進行方向左側は、本件衝突地点の手前、野田市寄り約六〇メートル付近まで、道路幅全部が舗装されていたため、右地点から関宿町方面に向けて舗装部分の幅員が約一・五メートル急に減少することとなつていた。右四七年度舗装部分と未舗装部分とは約二〇センチメートルの高低差があつたが右境界付近は緩かな斜面を形成しており、又右道路の幅員減少について何ら標識は設置されていなかつた。

二  前掲乙五号証、成立に争いのない甲八号証の一、二、本件事故現場付近の写真であることに争いのない甲一一ないし一三号証、証人飯野武、同小暮禮雄、同久保源三、同荒井武雄の各証言並びに原告工藤良孝本人尋問の結果によれば、

本件道路の、諏訪橋から関宿幼稚園に至る本件事故現場を含む約一六五・二メートルの区間は従来から事故の多発区間で警察に届出がなされた事故だけでも昭和四七年は一件であつたが、昭和四八年一月一日から同年四月二六日まで五件(人身事故二、物損事故三)、同年四月二七日から同年一二月三一日まで二件、昭和四九年は二件となつている。以上のように昭和四八年一月一日から本件事故発生日である同年四月二六日の間に事故が集中し、同年三月一八日と同年四月二〇日には、本件事故と同様に大型車が左側未舗装部分に落輪し、ハンドルを右に切つたため対向車両と衝突するという事故が発生していた。

そこで野田警察署では右四月二〇日の事故の後、本件道路の管理者である千葉県東葛飾土木事務所に対して、未舗装部分の改善を申し入れ、本件事故後は文書でその旨申し入れた。

本件事故後間もなく、前記未舗装部分は舗装され、又道路端には反射板をつけたセネレーターが数本設置されたが、更にその後数回現場は改装されて、現在では工藤車進行方向左側にコンクリートブロツクの縁石で区分された歩道が設置され、本件事故現場より野田市寄りは舗装部分幅員六・五五メートル、関宿橋寄りは舗装部分、幅員六・一五メートルが車道となつている。

以上の事実が認められ右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(被告の責任)

一  本件道路の管理者が被告であることは当事者間に争いがない。

二  ところで国家賠償法二条にいう営造物の設置又は管理の瑕疵とは、当該営造物が客観的に見て通常具有すべき安全性に欠けていることそのものを意味するものと考えられる。

三  これを本件についてみると、本件道路の状況は既に認定したとおりであり、事故現場の野田市寄り(工藤車の進行方向からすると手前)約一〇〇メートルにある関宿幼稚園前の横断歩道までは、桜井車側道路端に車道と縁石で区分された歩道が設置され、その後、事故現場の六〇メートル手前の地点まで工藤車側は道路幅全部が舗装され、舗装部分の幅員は工藤車側で約三・四メートルとなつているが、右地点から舗装部分の幅員は工藤車側で約二・七五メートルないし二・九五メートルと急激に減少し、右舗装部分の外側に約二〇センチメートルの高低差をもつて未舗装部分が存在し、未舗装部分と舗装部分の境界は断層をなしているが本件道路には右道路幅員減少の標識や、右高低差につき危険を示す標識その他の工作物は設置されていないものである。ところで本件道路は一日約六六五二台の交通量が予想される主要地方道であるから、本件道路における大型車両の通行・すれ違いのあることは当然予想されているというべきであるが、舗装部分の幅員が五・五メートルないし五・九メートル(片側二・七五メートルないし二・九五メートル)と比較的狭小であるため、大型車同士のすれ違いの場合(工藤車の車幅は二・四九メートル、桜井車の車幅は二・四七メートルである。)安全な間隔をとるためには必然的に未舗装部分と舗装部分の境界付近を走行することとなるのは容易に予測しうるところである。ところが右境界面が約二〇センチメートルの高低差を有する断層となつているときは、通行車両が未舗装部分に落輪して車両の安定性を失い、そのため運転者が運転操作を誤まり、不測の事態を招来する虞れがあるものと言わなければならない。特に本件道路の場合、事故現場の約六〇メートル手前から急激に舗装部分の幅員が狭くなつているのであるから、右落輪の危険性は一層高いものと言わなければならない。

このような場合、道路の管理者としては、前記未舗装部分を舗装する等して舗装部分と未舗装部分の高低差を解消するか、或は道路の幅員減少の標識を設置したうえ未舗装部分と舗装部分の境界にセネレーター等を設置して、通行車両に対し、車道左端の高低差の危険性について注意を喚起して、交通上の危険を防止する措置を講ずべき管理上の義務があるにもかかわらず、本件道路についてはなんら右のような危険防止の措置がとられないまま放置されていたものであるから、道路として通常具有すべき安全性に欠けていたと言わなければならない。

このことは既に認定したように本件事故現場付近で、本件事故と同様に未舗装部分に落輪させたことに起因する事故が数回発生していること、野田警察署では本件事故以前にも、千葉県東葛土木事務所に対し、前記未舗装部分の改善を要望していること、本件事故後まもなく未舗装部分は被告によつて舗装され、又道路幅減少の標識が設置されるに至つているが、その後は本件事故のような態様の事故は減少していることなどからも首肯されるところである。

(俊一の過失について)

一  前掲甲五号証の八、同号証の一一、証人飯野武、同桜井義一の各証言及び原告工藤良孝本人尋問の結果によると、

本件事故当時、事故現場付近は濃霧で視界狭く、前方の見通しも悪く、前照灯を点灯して走行する状況であつたこと、交通量は閑散で対向車両も余りなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右事実に既に認定した本件事故の態様とを併わせて検討すると俊一が未舗装部分に落輪し本件事故に至つたことについては同人の過失も競合しているものと認められる。即ち、濃霧の為視界が悪く、前方の注視が困難な状況下で大型車両を運転する者としては、普段以上に前方の注視に努め、又速度を減速して安全運転をはかる義務があつたし、道路の状況は通常通行者にとつて一目瞭然であるから前方の注視を充分に行うことによつて未舗装部分への落輪を防止することは可能であつたと推認されるのであるから俊一が未舗装部分に落輪させたことは俊一の不注意の結果にほかならない。

二  しかしながら、俊一に右のような過失があるとしても、それが本件事故の原因の全てとは言えないのであつて、前記認定のような本件道路における設置・管理の瑕疵がなかつたならば、俊一は未舗装部分に落輪して車の安定を失うこともなく、事故に至ることもなかつたであろう。従つて被告はこの点において責任を免れることはできない。(尚被告は、落輪後も、俊一が本件事故を回避することは十分に可能であつたので、未舗装部分と舗装部分との高低差の存在と本件事故とは相当因果関係がないと主張するが、落輪によつて車両が左に傾き平衡を失つた場合、咄嗟にハンドルを右に転把して車道への復帰を図ろうと操作することは通常あり得ることであり、落輪後、事故に遭うまでは瞬時のことと思われるから、右高低差の存在等の管理の瑕疵と本件事故との相当因果関係は肯定される。)

三  以上のとおりであるから被告の道路管理の瑕疵と俊一の右のような過失とが競合して、本件事故の発生となつたもので、これらを考慮すると、本件事故に起因する原告らの損害につき、被告が負担すべき責任の割合は二分の一とするのが相当である。

(損害)

一  亡工藤俊一の逸失利益 金一七、一一八、四五三円

成立に争いのない甲一号証、原告工藤良孝本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲二、三号証及び同四号証の一、二によると、俊一は昭和二二年一〇月二日生まれの事故当時満二五才六ケ月の健康な男子であつたこと、同人は昭和四四年四月一日東海短期大学電気通信部を中退して、父・原告工藤良孝の経営する工藤運送有限会社に入社し、事故当時はトラツクの運転手として稼働していたが、同人が原告工藤良孝・チドリ間の長男で唯一の男子であつたことから、原告工藤良孝は昭和四一年五月それまで個人で営業していた運送業を、前記会社を設立して会社形態にしたもので、以来社長として経営にあたつていたがゆくゆくは俊一に社長の跡を継がせる予定で、昭和四九年一月からは取締役にして経営の見習いをさせ、一〇年後位には俊一に社長を譲ろうと考えていたこと、その場合、昭和四九年一月からは俊一の給料を当時の給料月額一五〇、〇〇〇円より二ないし三万円程度増額しようと考えていたこと、当時工藤運送では、年に一回、一人一万円プラス物価指数を考慮した額の昇給があり、年一回一ケ月分程度の賞与が支払われていたこと、当時社長であつた原告工藤良孝は月額二八〇、〇〇〇円の報酬を得ていたこと、事故前三ケ月間の俊一の給料の平均額は月額一五二、六三六円であつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。ところで、右事実によれば、工藤運送は原告工藤良孝によつて設立され、同人が取締役社長として経営する個人会社としての性格の強い企業であるから、同人の意思によつてほぼ会社の運営がなされるものと推認される。従つて俊一は生存しておれば昭和四九年一月には同社の取締役に就任し、少くとも一七〇、〇〇〇円を越える報酬を得ていたであろうと推認され、その後一年に一〇、〇〇〇円程度の報酬の増加が見込まれていたと推認することができる反面、取締役報酬は決まつて支給される賃金、給料とは異り取締役の経営活動に対する対価というべきであるから、会社の企業活動の状況、営業成績によつて左右される面が大きいと考えられ、常に必ず一定の金額が確保され、毎年必ず上昇するといつた性格のものではないから、原告らが主張するように俊一が昭和四九年度は月額一七〇、〇〇〇円、以降毎年一〇、〇〇〇円ずつ収入が増加するかどうかについては疑問がある。従つて俊一の逸失利益の算定に当つては同人の死亡当時の給料の平均額である月額一五二、六三六円、賞与年一回一ケ月分として算定することとする。

ところで厚生大臣官房統計調査部作成の簡易生命表によれば、満二六才の男子(俊一は死亡時満二五才六月と二四日でありこれを満二六才とみる。)の平均余命は四五・六七年であるから、俊一が本件事故により死亡しなければなお右年数の間生存したものと推認され、少くとも満六三才迄三八年間は稼働し得、その間は前記収入を下回らない収入を得ることができたものと推認することができる。従つて、俊一の一年間の総収入は一、九八四、二六八円となり、右金額から俊一の生活費五〇パーセントを控除すると俊一の年間の純利益は九九二、一三四円となる。

これを複式ライプニツツ方式により中間利息を控除して、俊一の死亡によつて失つた三八年間の利益の現在価額を算定すると、金一七、一一八、四五三円となる。

二  葬儀費用 各一三八、五〇〇円(計二七七、〇〇〇円)

原告らは俊一の葬儀に要した費用について特段の立証をしないが、葬儀費用として、金三〇〇、〇〇〇円を越える出捐が要求されることは公知の事実というべく、右金額の範囲内であるから原告らはその主張する金額の葬儀費用相当の損害を蒙つたものと推定される。

三  慰藉料 各三、〇〇〇、〇〇〇円(計六、〇〇〇、〇〇〇円)

既に認定したように俊一は原告両名間の長男であり、唯一の男子であり、原告らは俊一の将来に大きな期待をかけ、事業の後継者と目していたところ、本件事故により俊一の生命が奪われたものであるから、右俊一の突然の死亡により原告らが多大の精神的苦痛を蒙つたことが認められ、右各苦痛に対する慰藉料として原告両名につき各金三、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

四  損益相殺

原告両名が、本件事故に起因して自賠責保険及び労災保険から、それぞれ金三、〇九二、八二〇円の支払いを受けたことは弁論の全趣旨により認められる。

五  原告両名が俊一の父母であることは当事者間に争いがなく、右によれば原告両名は俊一の本件事故に基づく損害賠償請求権をそれぞれ二分の一ずつ相続したことが認められる。

六  従つて原告両名に生じた損害額は、前記一ないし三の金員の合計額から四項の金額を控除したものであるが、既に認定したとおり、本件事故は原告側(俊一)にも過失があり、被告の負担とすべき責任の割合は二分の一であるから、被告は原告両名に対し、それぞれ金四、三〇二、四五四円の損害賠償の責任がある。

七  弁護士費用

以上のとおり、原告両名は被告に対しそれぞれ金四、三〇二、四五四円の損害賠償請求権を有するものというべきところ、被告がこれを任意支払わないため、原告両名が本件訴の提起を余儀なくされ、原告両名は原告代理人らに訴訟の提起とその追行を委任したことは弁論の全趣旨により明らかである。本件事件の難易、立証活動、前記認定の請求認容額その他、本件に現われた一切の事情を考慮すると、原告ら請求の弁護士費用の内、それぞれ金五〇〇、〇〇〇円が本件事故と相当因果関係にある原告らの損害と認めるのが相当である。

八  昭和四九年三月四日、被告に対し本件訴状が送達されたことは一件記録上明白である。

(結論)

以上認定説示のとおり、原告両名の本訴請求は、被告に対しそれぞれ金四、八〇二、四五四円及びこのうち金四、三〇二、四五四円に対する昭和四九年三月五日以降年五分の割合による金員の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余の請求は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法八九条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 林醇)

別紙図面

〈省略〉

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